「使われてこそ」を追求し、エンジニア職の持続的な未来を拓く
はじめまして、山田元康と申します。私は東京大学を中退後、自分のやりがいや働きがいを追求した結果、起業という形を選択して株式会社スパイシーソフトを設立しました。設立以来、携帯アプリ配信プラットフォーム事業「アプリゲット」の開設、「チャリ走」「糸通し」などのモバイルゲーム開発で多くの実績を重ねてきました。2023年からはSES(システムエンジニアリングサービス)事業にも本格参入し、エンジニアの働く環境向上に注力し、エンジニアの成長と挑戦を支える制度を導入しています。今後も技術と人をつなぐ架け橋として、エンジニアの幸せに貢献するために歩み続けます。
山田 元康の強み
私の強みは、自社サービス開発で培った経験と、エンジニアの働く環境を本気で考え抜く姿勢にあります。モバイルゲーム「チャリ走」などのヒット作を手掛けてきましたが、2023年からはSES事業「Tech4U」にも注力。「ベテラン・オンリー採用」「単価連動給与制度」「案件選択/チェンジ制」「正社員オンリー採用」といった明確な方針を掲げ、エンジニアのキャリアや希望に応じたサポートを実現しています。
プログラミングへの情熱を原点に、IT業界の常識を変革する山田社長。事業成長の裏側にある「使ってもらってなんぼ」の哲学と、未来を見据える力強いビジョンに迫る。
私がこの道を選んだきっかけ
起業が選択肢に入ったのは、大学在学中に参加していたビジネスサークルにいた先輩が起業したいと言っていたことからだ。
「そして大学の在籍期限が切れて。もともと小学校、中学校の時にプログラム始めてずっとやってたんで、そういうことをやりたいなと先輩に話したら『僕も今ベンチャー手伝ってる。エンジニアがいなくなったから手伝って。』って言われてお手伝いを始めました」と、創業に至る最初のステップを語ってくれた。
しかし、その道のりは順風満帆ではなかった。「給料が10万円だったんですよ」と当時の厳しい状況を率直に明かしてくれた。生活費にも困窮し、生きていくことが難しいというほどの経験は、山田社長を突き動かす原動力となった。
そんなとき脳内にあった「起業」という選択肢から「“バンドやろうよ”のような気軽な感覚で創業しましたね」。と振り返る。
そうして1999年、山田社長が24歳の時に株式会社スパイシーソフトを設立。今でいうAppStoreのような存在『アプリゲット』を開設し、5000人を超えるクリエイターが集まり、その中から『チャリ走』や『糸通し』などのアプリが産まれ、クリエイターさんと二人三脚で大ヒット作に育てました。
もっともこの成功の裏には、創業当初の苦戦もある。パソコンのソフト制作に注力したが、ネットに公開してもなかなか売れなかったと打ち明けてくれた。
「創業当時はiモードが始まった年で、最初からiモードでやっていればセンスよかったかも」。と苦笑いしつつ、この初期の苦戦が後のユーザーが求めるプラットフォーム(『アプリゲット』)の構想へと繋がったのだ。
仕事をする上で大切にしていること
「使ってもらって、なんぼやなっていう気持ちはありますよね。別に自分の中の世界観にある何かすごいものを作りたいっていうアーティストでは決してなくて、こういうのがあったらこういうことが困ってる人がめっちゃ助かるんじゃないかとか」。
創業当初は、「クリエイタードリブンな作りたいものを作るみたいなところが、今よりもっと強かった」と語った。しかし、事業が成長するにつれてユーザーの困り事を解決することに喜びを感じるようになったと強調した。
同時に、成功に伴う新たな課題も認識している。「長く社長をしていると、普通の人の気持ちはちょっとずつわからなくなる。例えば、電車に乗らないと電車に乗って通勤している人の気持ちはわからない」。
この危機感は、山田社長がユーザー視点を失わないための自己戒めでもある。
常にユーザーの立場に立ち、人々の抱える問題をITの力で解決することに喜びを見出す姿勢が、山田社長の仕事の根幹にある。
また、現代のビジネスシーンに対しても苦言を呈した。情報サロンなどで見られる「お金を一撃で案件、いくらゲットみたいな」表現には共感できないという。
「僕の感覚としては、こういう人が困ってたけど、こんな風に助かって仕事がむっちゃうまくいって、コストが半分になりました。売上が倍になりました、なんですよね」。具体的な課題解決に真の価値を感じるのだと強調した。
今抱えている課題
現在のSES(System Engineering Service)業界で懸念するのは、業界全体にはびこる悪しき慣習やフリーランスの問題だ。SES業界は簡単に立ち上げられる・始められることには問題もあるという。
「人の支援みたいな事業って抜こうと思えばいくらでも抜けたりとかする。そういう悪い会社がいるし、悪い会社に誘い込まれる人もいるし、その中で悪いことに経歴詐称とかもあったりする」と、具体的な問題点を挙げた。結果として、SESという働き方自体が「エンジニアとしてキャリアの墓場だみたいな言い方をする人もいる」という風評被害に繋がっている現状を憂慮する。しかし、山田社長はこの考えをきっぱりと否定した。
さらに、「2、3年ぐらいの経験しかないような人や、会社ってうざいめんどくさい、フリーランスだったら楽そうみたいな人も増えてきている」。
この状況は、業界全体の信頼性低下に繋がりかねないと危惧している。かつてはスキルフルな人材が集まる場であったフリーランスという選択肢が、近年ではその質に疑問を感じているのだ。
未来の展望
「生活のために子供を養うためとか家族を養うために働く人が受け入れられるのが産業だし、別に小学校からやってるとかじゃなくて、大学から学んできた人を受け入れるのが産業じゃないかと思う」。
インターネット創世記の当時は、どこにも居場所がない人たちが集まって一つの村をつくるような感覚に近かったと振り返る。山田社長自身、当時は「仕事としてインターネット業界にかかわる」ことをどこかバカにしていたところがあったという。
しかし、インターネット業界がひとつの産業となった今、この認識は大きく変わった。
「ちゃんとやることはきちんとやる人が報われるような職で、エンジニアもあるべきじゃないのかな」。
インターネット業界がひとつの産業となった今、エンジニアも「職業選択」のひとつなのだ。だからこそ、スパイシーソフトではフリーランスも在籍しているが、正社員雇用にも力を入れている。安定した雇用とエンジニアの成長を支援したいという強い思いがあるからだ。
まとめ
山田社長の創業は、大学時代の経験と過酷な労働環境が結びつき、自らの手で道を切り開く決意から始まった。プログラミングへの初期の情熱は、やがて「使ってもらって、なんぼやな」というユーザー志向の哲学へと進化。社会課題の解決に喜びを見出すようになった。
現在のSES業界は、「悪い会社」の存在やフリーランスの質の低下といった課題に直面しているが、山田社長はSES本来の価値を信じ、その負のイメージを払拭しようと尽力する。
創業期には「仕事としてプログラミングをやりたい」という層を揶揄する意識もあった。しかし、ITが巨大産業となった今では、生活のために働くエンジニアの存在を尊重するようになったという。
「社員がきちんと安心して働けて良い現場で良いキャリアを詰めるように」という強い意志を持ち、ベテランと新人が循環する組織を目指している。
IT人材の活用に慣れた企業とのパートナーシップを重視し、真のWin-Winの関係を築くことで、業界全体の質向上に貢献する。
山田社長の情熱と揺るぎない信念が、日本のIT業界の未来を切り拓く原動力となることは間違いない。