靴下で足元から幸せを創る伝統と挑戦を融合させる3代目
はじめまして、日本ニット株式会社代表取締役の里井謙一と申します。当社は昭和34年の創業以来、奈良県香芝市にて、自社工場で一貫生産にこだわった靴下の製造・販売を行っております。安価な商品との差別化を図り、容易に追随されることのない優位性を確保することで、お客様に高品質な製品をお届けすることを目指しています。 主要事業はソックスのOEMと自社ブランドの2つ。どの部門にも、ものづくりへの情熱とこだわりが浸透しており、最先端の編立技術でお客様の期待を上回る商品作りが信条です。 地元とのかかわりも大事にしながら、日本発・世界水準のものづくりを追求し、お客様に最高の製品をご提供し続けるため、日々精進しております。
里井 謙一の強み
私の強みは、長年培ってきた靴下製造の知識と、経営者としての俯瞰的な視点です。昭和34年の創業より、奈良県香芝市の自社工場で一貫生産にこだわり、他社には真似できない独自の優位性を築き上げてきました。安価な商品との差別化を明確にし、お客様に高品質な製品をお届けすることに情熱を燃やし続けています。また、靴下製造以外にもナマズ養殖などの他事業にも積極的に挑戦。未来を見据えた行動力で、社業を盛り上げていこうと奮闘しています。
職人技と経営戦略の融合が、企業の未来を創る。 靴下製造の技術を磨きながら、スポーツソックスの開発や新規事業へ挑戦する里井社長。伝統と革新を両立する経営の真髄に迫る。
私がこの道を選んだきっかけ
「祖父が小さい頃から構ってくれて、ずっと『お前が会社を継ぐんだぞ』って言われてたんで、自然と自分がやるのかなって思ってましたね。」
日本ニットは「里井メリヤス株式会社」から始まった老舗。いま3代目の里井謙一社長がこの道を進むのは、ごく自然な流れだった。
しかし、実際に経営を引き継ぐとなると、それは単なる継承ではなかった。
「やっぱり後継ぎなんで、最初から会社を継ぐのが当然だと思ってた。でも、実際にやるとなると先代の考えを尊重しながらも、自分を抑えなければならない場面も多かった。」
このように、会社を引き継ぐこと自体は自然な流れであっても、やはり当初は葛藤も多かったと打ち明けてくれた。
そして今では、創業以来の靴下製造の伝統を守りながら、里井社長は時代に合わせた挑戦を続けている。たとえば、従来からのOEM事業も引き続き行いながら、自社ブランドを立ち上げたこともその挑戦のひとつだ。
自社ブランド立ち上げのきっかけは、インターネット販売の普及により、従来とは違った売り方ができるようになったことにある。日本ニットの技術を伝える手段が増えたところに、里井社長は挑戦を始めた。
自社ブランドとして力を入れているスポーツソックスは「アスリートの勝利を足元から科学する」をコンセプトとして、丁寧な編みの技術を生かした製品だ。
「スポーツ用の靴下って、ただ履き心地がいいだけじゃダメなんですよ。プレー中の動きやすさとか、破れにくさとか、そういう機能性を考えて作ってます。技術力を活かして、長く使える靴下を作ることを大事にしている。」
こうした分野はニーズの分析・研究を繰り返すこと、そして何より日本ニットが持つ高い技術力があって実現できることなのだ。
仕事をする上で大切にしていること
「やっぱり仕事って一人でできるもんじゃないんで。特にうちはものづくりの会社だから、技術者の技術力がすごく大事。自分が全部できるわけじゃないんで、そういう人を大事にするっていうのは常に考えてますね。」と里井社長は断言してくれた。
具体的には、技術者の力を最大限に活かすために、自由な発想を尊重しているという。
「結構自由にやってもらってますね。あんまりパターンに当てはめずに、その人の個性を活かしたものづくりを大事にしてます。だからこそ、固く縛らずに、自由にいろいろ試してもらうようにしています。」
また、日本ニットの礎ともいえる技術の伝承にも情熱を傾ける。
「技術ってすぐに身につくもんじゃないんで、やっぱり何年もかかる。だから、先代からの技術を持ってる人たちが、若手にしっかり教えていくような仕組みを作ってます。」
ほとんどのスタッフが入社時点で靴下作りの素人からスタートすることが当然。だからこそ、いま靴下を作るスキルを持つ人から若手へと継承することこそが会社の礎となっていると確信しているのだ。
「技術者の方がきっちり教える、それで若手が育ってきています。」と里井社長は力強く答えてくれた。国内生産にこだわっていく姿勢は、創業当初、そしてこれからもずっと変わらないのだ。
今抱えている課題
「やっぱり国内で作るっていうのが、どんどん難しくなってきてますね。」
国内生産の厳しさは、業界全体の深刻な問題であるという。
「靴下ってうちの工場だけで全部作れるわけじゃなくて、一部の工程は外部の職人さんにお願いしてる。でも、その職人さんたちが高齢で辞めていくことが増えてる。儲からないからやめるっていう人も多くて、業界全体で後継ぎがいない。」
さらには産地そのものが衰退している現実もある。「国内の靴下の産地もどんどん減ってきてる。このままだと、自分たちも生き残れなくなるんで、いろんな工夫をしてる。例えば、人材の育成だったり、ちゃんと利益が出る商品を作ることですね。」
スキルの伝承に力を入れること、高い技術力を生かしたスポーツソックスの生産を始めたこともすべて、里井社長が先々を見据えて先手を打ち続けていることなのだ。
未来の展望
「僕は、靴下だけで生き残っていけるとは思ってないんで、違う事業にも取り組んでます。」と率直に語る里井社長。
その挑戦の一つは、ナマズの陸上養殖。「ナマズを育てる事業を始めてます。海外でも結構食べられているもので、おいしいんですよ。」ビジネスとしてはこれからの部分もあるというが、里井社長の言葉は明るい。
また、地域貢献・発展も重要視している。地域への取り組みの一つが土地の無償貸し出しだ。「うちは田舎なんで、会社の土地が余ってる。そこを地元の人に無償で貸して、畑にしてもらってます。別にお金を取るとかじゃなくて、地域の人たちに使ってもらえればいいかなと。」
地域に根差して成長し続ける企業として、地元を大事にしながら新しいことにどんどん挑戦するという里井社長の活動はまだまだ続く。
まとめ
里井社長は、職人の技術を守りながらも、新たな挑戦を恐れずに進むことが大切だと語る。靴下産業は、業界として人手不足・後継者不足に直面している。そんな苦境はあっても、里井社長は国内で生産するということにこだわり続ける。
だからこそ自社の強みを生かしたブランドの立ち上げや、さらには靴下産業の枠を超えた取り組みにも積極的だ。地域に根差した土地活用や、食の分野への挑戦もその一環である。
「守るべき伝統を継承しながらも、変化を受け入れ、新たな可能性を広げていくことが、これからの時代に求められる経営の形だと思っています。」
これからも、技術と挑戦を両輪に、未来へ向けて歩み続ける。