私がこの道を選んだきっかけ
大角社長は東海大学工学部通信工学科を卒業後、80年代当時「これから世の中を変えていく」と言われた半導体分野に惹かれ、半導体メーカーに入社した。
CADを使った電子回路設計で最先端技術に触れる日々は楽しかったが、「空調の効いた室内でPCの画面に向かうより、太陽の下で汗をかいて仕事がしたい」という思いから、建設設備業界の営業職へと転身する。
父が創業した株式会社オオスミに入社したのは30歳の時。父の右腕だった社員の独立がきっかけだった。自身は物理や電気の専攻で「化学」が苦手だったが、「やってみなければ分からない」と飛び込んだ。その後、「長男として自分が担うだろう」と覚悟を決め、37歳で代表取締役に就任することになる。
就任前には、父から「自分は経営者としての生き方を見せてこなかったから、きちんと勉強してきなさい。」という言葉を受け、毎月金土日の2泊3日で経営塾に通った。そこで指導を受け、1〜2年かけて経営の基礎をみっちりと仕込まれた。代表となったことは、自身にとって最大のターニングポイントであり、チームをまとめ、社員とその家族を守るという大きな責任を背負った瞬間でもあった。
仕事をする上で大切にしていること
経営の原点となっているのは、経営塾で学んだピーター・ドラッカー氏の『ミッション経営』だ。
先代の理念をさらに具体化し、「地球に暮らす人々に『安全』と『安心』を環境面から提供しつづける」という明確な使命を掲げた。この使命を全社員と共有し、同じ思いを持った集団であり続けることを何より大切にしています。
しかし、社長就任から3年で過去最高売上・最高利益を叩き出した際、大きな挫折を味わう。「目標を達成したら全社員で成果を分かち合おう」と掲げて実現し、さらなる飛躍を意気込んでいた矢先、リーマンショックが直撃し一気に赤字に転落したのだ。今までの好業績は、「たまたま時代が良かっただけ」だったと猛省した。
そこからミッション経営の大切さを再確認し、立て直しにさらに3年を要したが、その苦境の中で社員たちが辞めずに残り、一緒に歯を食いしばって苦労してくれた存在が何よりも嬉しかったという。
今抱えている課題
地球規模の気候変動が進む中、大角社長は強い危機感を抱いている。
海のゴミ拾いボランティアに参加した際、風や川から流れ着いた大量のプラスチックゴミを目の当たりにした。「例えば、劣化して飛んでいった洗濯ばさみがマイクロプラスチックになるように、意図せずとも私たち自身が環境を汚す加害者になっている」と痛感したという。プラスチックで利益を上げる企業が存在し、世界で戦争が起き、日本でも経済発展が優先される中で、「一人一人の心がけだけでは限界がある。本来は全ての国が総力を挙げて環境保全や気候変動の食い止めに力を注ぐべきだ。」と語る。
人間の病気を治す医者がいるように、地球にも医者が必要だ。しかし、「地球の健康を守り、病気を治す人(業界・企業)」はまだまだ少ないため、新たな価値を創り出していかなければならないと考えている。現在、日本全国に約1,500あると言われる環境計量の事業所は、半導体センサー技術の進歩によって淘汰されていくと予測している。今後は化学的分析を基盤にしつつ、温暖化対策や脱炭素支援などのコンサルティング事業、さらにはベトナムに設立した現地法人を軸としたアジア諸国の環境問題解決へと事業を広げている。
未来の展望
まもなく60歳を迎える大角社長は、10年後には社長のバトンを次世代へ譲り、自身は環境教室や講演活動など、地球環境を守る普及活動に専念するつもりだ。
個人的な目標は、「100年後にも安全な水が飲めて、きれいな空気が吸える環境を世界中で実現できている状態にすること」。自社だけの力では難しい壮大な目標だが、巨大なタンカーを正しい方向へ動かす『タグボート』のような縁の下の力持ちにはなれると大角社長は考えている。
まとめ
設計職から営業職を経て、未経験の環境分野へ飛び込んだキャリアが、大角社長の柔軟で力強い経営哲学を形づくっている。自身の過信を猛省し、ドラッカーの教えを基にした「ミッション経営」を実践したことで、全社員とビジョンを共有する強固な組織が生まれた。
100年後の世界に安全な水ときれいな空気を残すべく、自らが巨大なタンカーを導く「タグボート」となって新たな市場を切り拓いていく。リーマンショックの苦境にあっても辞めずに残ってくれた社員たちの存在を「何よりの喜び」と語る大角社長は、これからも自らの使命を胸に、地球の未来へ向けて力強く舵を取り続ける。